自分の吃音を意識するようになったのがいつ頃かは覚えていない。

 

多分、小学3,4年生の頃はすでに意識していたと思う。

 

幸い、友達や先生に恵まれたおかげか吃音に関してからかわれたり、いじめられたりした記憶はあまりない。

 

しかし、自分の中で悩んでいたのは今でも鮮明に覚えている。

 

特に順番に回ってくる本読みが嫌いで、自分の番が来るのがとても怖かった。

 

なぜ、怖かったのか原因はわからないが、おそらくどもってみんなから笑われたりするのがいやだったのかも知れない。

 

みんなができて自分ができないこと、みんなと違うと思われることがイヤだったのかもしれない。

 

特に子供の頃はそうなんだと思う。

 

そんな状況だから本読みがある授業はその恐怖で勉強に身が入らなかった。

 

自分の読む場所を予測し、頭の中で練習を繰り返していた。

 

国語の成績が特に悪かったのは、それが原因かどうかは分からないがかなり関係あると思う。

 

同じ本読みでも突然当てられた場合は、待ち構える間の恐怖がないせいかどもることも少なく気持ちが楽だった。

 

本読みをなくすことは難しいと思うが、今日の授業で自分に順番が回ってくるかどうか授業のはじめに分かれば随分違うと思う。

 

回らないと分かれば授業に集中できる。

 

回るときは授業のはじめの方で回り、その後は回らないということが分かれば、回った後からは集中できると思う。

 

吃音者を受け持っている先生は何か工夫をしていただければと思う。

 

私の吃音について友達がどう思っていたか聞いたことはないが、私の感じとしては、たまにどもって同じことば

を繰り返しても あがり症で緊張して、そうなっているだけという感じでしか受け止めていなかったような気がする。

 

こちらが思っていたほどまわりの人は私の吃音に気付いていなかったようだ。

 

今思えば、吃音のことを告白していればもっと気楽に過ごせたかもしれなかった。

 

私が吃音でかなり悩んでいたことを表に出さなかったこともあり、両親はそのことに気付いていなかったと思う。

 

そのためか「ゆっくり話しなさい」とか「落ち着いて話しなさい」とかうるさく言われた記憶はあまりない。

 

中学生の頃だったか吃音のことで両親の前で泣いた時、はじめて悩みの深さを知ったのではないかと思う。

 

ただ小学生の頃から初詣などで神社などに行った時、親が吃音が治ることをお願いしていたようなので気にはしていたのだと思う。

 

たとえ症状が判り難くても吃音者の悩みは深い。

 

吃音の子供を持つ親は子供の悩みを受け止めてあげることが大事だと思う。

 

その上でどうするのがいいか子供と一緒に考えてあげればよいと思う。

 

大抵の吃音者は一人で悩み孤独な場合が多い。

 

子供の吃音の悩みを親が感じられず、「ゆっくり話せばいいのよ」なんて言っていたら、ますます

一人で悩むことになる。

 

なぜ自分だけがこんな思いをするのかとよく考えていた。

 

身内で叔父に吃音者がいたので、遺伝のせいかなと思ったこともある。

 

両親がよく喧嘩をしていてビクビクしながら過ごしていたので、それが原因なのかなと思ったこともある。

 

原因は未だに分からないが家庭環境が悪いのは良くないと思う。

 

リラックスできる環境を作ってあげることが大事かな。